外の世界へ関心を向ける

他人とのコミュニケーションについて障害と感じること。

原因を長年色々考えてきた。脳の発達障害とか。

でも、そもそも外の世界(自分の内面の対義語としての「外」)への関心が弱いのが原因?

他人に興味を持ったり、とにかく外の世界へ意識を向けること。

逆に、自分の内面へ意識を向けると、どんどんどんどん底なし沼に嵌まっていく。。。

外へ意識を向けるということを意識してゆこう。

自己主張ができない①

自分の意見を持つとは何だろう。

6才のとき、同じ保育園の女子に、「アンタしっかりしなさいよ」と怒られたことがある。

それ以降も、幾度となく色んな人から同じような言葉を頂戴した。

自分の意見を持つとは何だろう。

うるさい、とか、ほっとけよ、とかそういう思いも、今俯瞰してみるとあの頃の自分は思っていた。

なのに、それも言えず、いつしか、立場的に言えないような大人になっていった。

そういえば、「俺」とか「僕」とか自分を言うのも苦手で、なおかつ友達を名前で呼ぶのも苦手だった。恥ずかしかった。何故なのか分からない。
家では「まーちゃん」というのが一人称だったようだけど、いつの間にか言わなくなってしまった。

元を辿れば、3才で保育園に入ったとき、皆の前に立たされ、「お名前は何ですか?」と聞かれ、テンパった私は「お名前はなんですか?」とそのままオウム返しをしてその場にいた皆に大笑いされ、恥ずかしさで、座っていた母のもとに大泣きして戻った覚えがある。

とにかく人一倍恥ずかしがりだった。

それでも、最初はショーゴくんという友達が出来て、気が合って楽しかった気はする。
しかし、おそらく転勤族だったショーゴくんは程なく引っ越してしまった。

ショーゴくんがいなくなり、ガッカリしていた自分だったが、しばらくして、それまであまり関わりの無かった、リョウくんと仲良くするようになった。
リョウくんはちょっとナヨナヨして最初は気持ち悪いなと思ったが、何故かペースというか、波長が合った。
地元から来てる子は、自己主張が強かったり、どちらかといえば外で遊んだりプロレスごっこしたりする子たちばかりで、あまり気があわなかった。

一度プロレスごっこで反撃して泣かせてしまったことがあり、ごめんなさいと床に頭を叩きつけて謝ったことがある。なんでそんなことしたんだろ。

幼心にも、縄張り意識や上下関係みたいなものを勝手に心に作り出していたのかもしれない。

先生も先生で、あまり自己主張しない私を良く思わなかったようで、何かと親まで呼び出して叱った。
幼心にもやはり恥ずかしい思いだった。

そんな状態で、保育園にいる時期からすでに色々と人生辛かった。

自己主張ができなかったのは、周囲と打ち解けられずに、コミュニケーションを取る練習が出来なかったことが足を引っ張ってしまったのだろうか。原因のひとつではあるだろう。

将来の夢がわからない①

記憶にあるのは6才のとき、保育園の毎月恒例の誕生日会。

その月に誕生日の子が祝われるのだが、誕生日の記録として、好きな食べ物やら、将来の夢やら書いて、プレゼントしてくれるというものが毎年あった。

その中の、「将来の夢」の欄が苦手だった。

大体はサッカー選手と皆書いているが、私はサッカーなんてよく分からんし、みんなと同じというのも嫌だった。それ以外の職業も、なりたいかと問われるとよく分からなかった。

絵を描くのはわりと好きだったが、画家になりたいかと言われたら違った。(周りの人も将来は絵描きかな、といって笑われるのが嫌だった)

宇宙飛行士なんかも、すごい職業だと思っていたけど、自分で宇宙に行くのは恐ろしい気がした。なれる気がしなかったと思う。

子どもの頃の夢なんてそんな責任を感じる必要なんて無いのに。皆と同じような適当で良いのに。

そんなことで、6才のときは案外みんな書かなかった「野球選手」と渋々書いた。
野球なんて良く分からなかったが、これから勉強しようと、ルールも分からないのに、ホームラン打つんだ!と強がった。
野球は好きにならなかった。

そんな思い出がある。